Signal Red / 2nd story

- シグナル・レッド -

隠していた、空白の時間。
Updated: 2009/10/01


2nd 01. 「再会と再開」[1]



どこからこれだけの人が出てくるのか。

右へ行っても左へ行っても、人、人、人。なかなかまっすぐに歩けず、おまけに案内表示を頼りにしすぎて、目線がどうしても上ばかりに向かう。 ・・・つまり、足元がおろそかになるわけで。
「す、すみませんっ」
これでもう、3度目。他人様の旅行カートを蹴飛ばすとまではいかない、というかむしろ痛いのはこっちの方。 けれども条件反射で丁寧に謝って、ひたすらに彼女が目指すのは到着ゲート。
時節柄なのか、それとも週末だからなのか。この際どっちでもいい、とまで思ってしまうのは、到着予定時刻をゆうに40分は過ぎているから。


コートの裾がひるがえり、結っていない髪が動きに合わせて揺れる。 きっと今、頬は赤いだろう。それは、メイクのせいだけではない。
こんなにも遅れてしまっているのは、彼女――『日下部凛』が乗り合わせた列車が車との接触事故を起こしそうになったから。 事故こそ免れたものの、その後の運行に支障がないか、点検やら何だかんだで、かなりの長い間列車から降りることもできずにいた。
ようやく空港に直結するホームに車両がすべりこみ、スーツケースの間を縫って先を急ごうとするものの、 誰しもが急ぐ中で、お世辞にも要領が良いとはいえない凛は、なかなか前へと進めない。

葉月の携帯に連絡しようと何度か試みたものの、まだ電源を入れていないらしい。飛行機の到着が遅れているのかもしれない。 途中、到着の状況を知らせる表示板を見かけたけれど、人の波にのまれた状態では、確認することもできなかった。

「――あ、あそこだ・・・っ」
ようやく到着ゲートを見つけてほっとした瞬間。『何か』がブーツに当たった。またカートか、と思ったが、違う。
「!」
とっさに身をかがめて腕を伸ばし、ショルダーバックが肩から落ちるのも構わずに『何か』を――『子ども』を、支える。 凛の腕が一瞬早く、小さな身体は尻もちすらつくことなく。
2・3歩後ろから追いかけてきていた両親の口からは、謝罪と感謝の両方が後から後から出てくる。 悪いのはこちらだから、と当たり障りなく応えながら落としたバッグを手に取り中身を確認していると、見覚えのある携帯電話が前方から視界に入ってきた。


「・・・あなたのでしょう? 鞄から出てきたように見えましたが」

少し低めの声。電話を載せた手のひらは大きくて、明らかに男性。
いつも携帯を入れているポケットに、ふくらみがない。形も色も、同じ。それに、自分がつけているのと同じストラップ。
「有難うございます。私の携帯で間違いな・・・」
軽く頭を下げて、受け取りつつ顔を上げた先にいた人物の顔を見て、凛はたっぷり2秒、思考が停止した。それは、相手も同様だったらしい。

沈黙を破ったのは、相手の方。凛が取り損ねた携帯をぎゅっと握りこみ、人差し指を凛に向かって伸ばして、身をわずかにかがめた。 ぽかんと口を開けている凛の顔を、覗き込むように。


「――何で、ここに」


   ◇◆◇


ジャンボジェットをやっと降りたと思ったら、入国審査、税関。
日本語表記に無意識のうちにほっとしている自分に苦笑をもらしつつ、『出口専用』の自動扉を抜け、 視線の先をひっきりなしに行き交う人の群れの中でたったひとり、自分を待っているであろうはずの人を探す。
平日ではないという理由で会社からの迎えは断ったから、彼女はひとりで来ているはず。 着陸が10分以上遅れたから、もう待ちくたびれてしまったのだろうか?

「葉月さん」

眼鏡を必要としない視力でざっと周囲を見回す葉月のすぐ脇から、かけられる声。 遠慮がちではなく、相手が葉月と確信している声色。しかし、彼の待ち人とは明らかに違う。
葉月は動きを止め、表情を硬くした。外そうとしていた黒に近い色のサングラスを再びかけ直しながら、視線をかの声とは違う方向へとめぐらす。

いない。見つからない。
こういう時に限って、彼女の姿を捉えられない。向こうも、探しているに違いないのに。


声に対して反応はしたものの、それ以外の行動を見せない葉月に業を煮やしたのか、再び同じ声が葉月の耳に届いた。
「須山葉月さん、・・・ですよね」
「――私に何か」
表情のみにとどまらない硬さに、相手は肩をすくめている。見ずとも、空気の流れでわかる。
「『葉月さん』、と呼ぶのはお気に召しませんか」
「気に入りませんね」
「でしたら、これからは須山さんとお呼びします。それでよろしいですか?」
「・・・ご用件は」
振り向くことなく応じる葉月に、相手はくすりと笑いつつその手を口元にあてた。手首に香水を付けているのか、ふわりと甘い香りがただよう。 持ち主の声と同じ類の、甘ったるさ。


「ご挨拶ですこと。ひさ・・・」
最後まで言わせず、葉月は口を開いた。
「迎えは不要、と回答したはずですが。秘書が連絡しそびれたのでしたら、私が代わって謝ります」
「いいえ。秘書の方からは丁寧な謝罪の電話が入りました。ですので、謝っていただく必要はありません。ですが」
「それはそちらの都合でしょう。私には関係ありません」

あくまで、葉月は相手を見ようとしない。周りの人間からしてみれば何とも奇妙な構図に見えるだろう。 だが、どれだけ奇妙に思われようとも関係ない、葉月はそう思っていた。

「――でも、お迎えの方はいらっしゃらないようですが? でしたら・・・」
「来ています」
「あら、そうでしたか」
遮る葉月に、しかし相手は動揺を見せない。


「お迎えに来られるとしたら、秘書の方ですよね? お名前は、確か・・・今橋さんとおっしゃいましたかしら」
「違います」
「では第二秘書の方ですか?」

そこで初めて、葉月は隣にいた女性へと視線を向けた。サングラスも外し、にこりと微笑む。



「『どちらも』――です。失礼」


   ◇◆◇


「・・・そっちこそ、何で・・・」

酸素をようやく補給しなおした凛は、当然の疑問を口にしかけて、はたと止まった。
どう見ても、彼が着ているのは『制服』。それは、つまり。

「仕事中、なの? ここで?」
「そ。4月から空港勤務になったんで、引継ぎに来たんだ」
「異動になったの!? そんなのひと言も・・・」
「言う前におまえが・・・」
切っただろう、と続けるはずが、凛の嬉しそうな表情を前に喉の奥に押し込まれる。

「すごいねー。前から行きたいって言ってたけど、本当になったんだ」
「・・・よく覚えてるな」
「もちろん! 何度も聞かされたから。良かったね」
「・・・ん」


満面の笑みを返す凛は、相手が始終きょろきょろと周囲を見回していることに気づかない。 そして、自分の携帯が未だに彼の手の中にあることも。
それをわかっていて、あえてそしらぬふりをしつつ彼は凛の顔をのぞきこんだ。

「――で、誰かの迎えか? さっきからよろよろした客がいるなーって思ってたけど、おまえだったのか」
「よ、よろよろ・・・?」
「だろ。人にぶつかりカートにぶつかり。ま、さっきの子供はおまえがうまく受け止めたから良かったけど。 よくひとりでここに来る気になったなあ。感心するね、俺は」
「褒めてないでしょう」
「いやいや。で、誰?」
「――会社の人、だよ。アメリカに出張していた人なの」
「経理部?」
「・・・う、うん」

彼女の思考が完全に『今』に戻ったタイミングを見計らって切り込まれた質問に、凛は見事に引っかかった。
ほんの少しだけの、微妙な『間』。それだけで、相手にはわかったらしい。
「凛。何か隠してるだろ」
鋭い指摘に、凛はぶんぶんと首を左右に振る。

「行くから」
「答えるのが先だろ」

取りあえず携帯電話は後回し、と背にしているゲートへ意識を向けようとしても、実に楽しそうな表情の彼が、 凛の手が届かないぎりぎりの範囲で電話をちらつかせる。
容赦なく、時間が過ぎてゆく。ゲートはすぐ後方なのに、どうして最後に阻むのがこの人、なのだろう。
友達、でもなく。職場の先輩や後輩でもなく。ましてや昔の彼氏、でもない。
まだ昔の彼氏の方がマシだ、と思う。心の底から。

だって。
だってこの人は、ある意味誰よりも厄介な――――



「仕事中なんでしょ、ちゃんと仕事してよ!」
「おまえの方が大事」
くやしまぎれに相手に現実を突きつけても、効果なし。
「――もう、いい」
むう、と頬をふくらませ、凛は勢いよく身体を反対側へと向けた。

電話なんか、後でもいい。今は、一秒でも早く、会いたい人がいる。
きっと、待っていてくれてるはず。遅れても、きっと。
だから、行かなきゃ。


悲壮なる決意を胸に秘めつつ、彼女が取った軍隊さながらの動きは、しかし最後まできっちりとは決まらなかった。
「おい、前・・・っ」
「知らな・・・わっぷ」
背中からかけられる慌てた声の意味に気づいた時には、顔が何かにぶつかっていて、 それでも余るほどの勢いをとどめるかのように、右肩に大きな手があてがわれていて。
「す、すみませ・・・」
慌てて顔を上げようとすると、肩に置かれていた手にぐっと力がこめられた。まるで。


「――ただいま、凛」


まるで――抱き寄せる、かのように。


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第二部開始です。
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