Signal Red / 2nd story

- シグナル・レッド -

隠していた、空白の時間。
Updated: 2009/10/09


2nd 01. 「再会と再開」[2]



身体を包む温かさと、肩に感じる手の大きさ。どちらも、あの時と同じ。

ロサンゼルスへと向かう飛行機のフライト時刻は、15時前後のはず。 それなのに1日の半分が終わってもパソコンの電源が落ちない社長室に、昼休みを使ってこっそり訪ねた凛を、 葉月は特に時間に追われているそぶりも見せずにのんびりと応じた。

『本当に、大丈夫ですか? 昨夜は寝てらっしゃらないんでしょう?』
『平気。徹夜なんてしょっちゅうだし・・・・・・誤解しないように言っておくけど、遊びじゃなくて研究の為』
『研究?』
『半年前まで学生でした』
『・・・そうなんですか! って、えと、じゃあもしかして留年・・・?』
『――そう、見えますか?』
『い、いえっ! 全然!』
ぶんぶんと首を振ると、葉月は柔らかく微笑む。その笑みは、つきりと凛の胸に痛みをもたらす。

『・・・向こうでの生活、楽しかったですか・・・?』
『「楽しくなかった」、と言えば嘘になるな。空気が合ってたから』
『やっぱり。だと思いました』
『本当に?』
『え、葉月、さ・・・?』

椅子から立ち上がりデスクの前へとやって来た葉月は、立っている彼女に向かい合うよう端に腰を下ろして、華奢な手首をくいっと引き寄せた。
とっさのことに身を硬くする凛の背を軽く2度、回した左手で叩く。もう片方の手は、凛に触れることはなくそのままに。
そして、結い上げているために露わに見える彼女の耳許近くで、『ちゃんと帰ってくるから』と。
その言葉に、うなずいて。かろうじて、『はい』と返したはずの言葉は、ひどくかすれてしまった。

それでも。
――それでも、葉月は言わなかった。それ以上は、何も。


   ◇◆◇


ざわめきも、ひっきりなしに流れるアナウンスも、何も聞こえない。この声以外は。
ただいま、と聞こえた。凛、と名前を呼んでくれた。機械越しではなく、目に映る文字でもない。
本物の、葉月の声。

胸の奥にたまっていた息を、凛はゆっくりと吐き出しす。その成分のほとんどは、不安。 海を越えて電話で話をしても、飛行機に乗る直前に送ってくれたメールを読んでも、それでも消えなかった。 安心は、すぐにのみこまれてしまうから。跡形もなく、消えてしまうから。けれど今、不安が少しずつ薄らいでゆく。

ああ、ほんとうに。本当に、帰ってきてくれたんだ。


「お・・・」
顔を上げ、葉月の顔をようやく正面から見て口を開きかけ・・・強い視線に気づいた。しかしそれは、前方から。『自分の背中から』では――ない。
その視線の主は、女性。触らずとも、上質とひとめでわかる黒のスーツ。肩につくかつかないかで切りそろえられた髪は、服と同じく艶やかな黒。 まっすぐに葉月を捉え、すこしも揺るがない。そして彼女の背後に、もうひとり。


「――まだ、何か」
耳元よりは遠く、それでも至近と言えるくらいの距離で、低く葉月の声が響く。その横顔は、厳しい。凛が知っている、『社長』としての顔よりも数段も。
「お話がまだ終わっていません。もうよろしいですか?」
まゆみを思わせるような、落ち着いた声色。にこりと微笑む様は、男性ならば一瞬といわずしばらく見とれてしまうだろうと凛は思う。 かわいい、というよりも、きれい、というカテゴリー。比較するまでもなく、差は歴然。
落ち込みかけた凛の頬に、骨張った長い指が触れる。そのまま、後頭部へ。

「申し訳ありませんが、今はこのとおり取り込み中です」
「・・・え、は、はづ・・・」
予告なしの再接近は、凛の視界を完全に遮るほどのもの。 片手といえど、先程とは比べものにならないくらいきちんと抱き寄せられ、顔を動かすことができない。
「どうしてもとおっしゃるのなら、後日社の方へご連絡ください。私のスケジュールの調整は秘書に任せていますので」
「どうあっても、本日は時間を取っていただけないと?」
「無理ですね」
「・・・そちらの方にご一緒いただいても、こちらとしては構いませんが」
「無理だと言ったのが、聞こえませんでしたか?  それに、前もって『プライベートな時間は避けてほしい』と秘書を通じて伝えたはずです。 あなた方が用があるのは私個人ではなく、私の社会的立場に対して、ですからね。――違いますか」

「それは・・・」
「話は終わりです」
ふわりと甘い香り。葉月のいつになくきつい言い回しに、女性は言いよどんでいるというよりも、絶句している。 見えなくとも、空気で何となくわかる。
「どうしてもと言われるのなら、後日・・・そうですね、4月以降にご連絡ください。秘書を通してのアポイントをお願いします」

ふいに、葉月の力がゆるむ。は、と凛が息をはきながら動かせる方向、すなわち葉月と相対している女性とは反対へ、ともぞもぞと頭を動かすと、 とてもとても何かを言いたそうにしつつ、けれど取りあえず無言でこちらを見つめている、もうひとりの人物と目が合った。

「・・・最後にひとつ、伺っても?」
「答えるかどうかは保証できませんが」
「すぐにお答えいただけるはずですわ。その方がどういう方なのか、教えていただきたいだけです」
どきりと心臓が跳ねる間もなく、葉月は質問をばっさりと斬り捨てた。


「では伺いますが、その答えがあなたに関係ありますか? ――ないでしょう」


カツン、と硬質な音が耳に響いた。しかしすぐに、周りのざわめきに紛れて聞き取れなくなる。
彼女が立ち去った。それはわかる。けれどそれ以上のことはわからない。彼女がどんな表情を顔に浮かべていたのか、それに対する葉月の表情も。

「・・・ごめん」

短い謝罪と共に、包んでいた温もりが凛から迷いなく離れてゆく。無意識のうちに顔を上げ、葉月のジャケットの腕のあたりをつかんだ凛は、
「心配した?」
自分に向けられるすこし驚いたような、それでいて嬉しそうな表情を目の当たりにして、かあ、と頬が熱くなるのを感じた。
「し、知りませんっ」
「それも、ものすごく」
「ちょっと、はづき・・・」
「心配したんだな」
からかい口調と共にのばされた葉月の指は、すこし乱れてしまった凛の前髪を、ゆっくりと整えてゆく。
「出来上がり」
「あ、有難うございます」
きちんとお礼の言葉を口にする彼女に、葉月は笑った。変わっていないな、とひとりつぶやく。
「変わりましたよ! 前髪2センチ切ったんですから」
「そういうところが、変わってないよ」
ぽん、と凛の頭に手を置いて、ふと真顔になる。
「そのうち、ちゃんと話すから。――じゃ、こっちが片づいたところで」
「・・・はい?」
真っ赤に頬を染めた凛を楽しそうに見つめた後で、葉月は彼にとっての右側、凛にとっての左側へと手を差し出した。


「――大変お待たせしました、『くさかべ』さん」


   ◇◆◇


「え、あの、なん・・・」
「その携帯、凛のだろう?」
「・・・は、い。そうですけど、でも、あの」

頭の中にクエスチョンマークが飛び交う凛をよそに、葉月は会釈しつつずっとその場にいた男性と向き合う。 余裕にあふれた笑みは、先ほどの厳しさは欠片も残っていない。

「拾ってくださって有難うございます。彼女のものに間違いありませんので」
「そうですか。それは良かったです」
2人の顔を交互にちらちらと見上げる凛が、口を挟むタイミングをつかめないまま、持ち主の脇を素通りして携帯電話は男性から葉月の手へと渡る。 ほら、とさらに葉月が凛に渡すのを横目に見つつ、男性が口を開いた。

「どちらから戻られたのですか?」
「ロサンゼルスです」
葉月の答えに男性は成程、と相づちを打つ。
「長旅お疲れ様です。本日はこのとおりの混雑ですから、これからの道中もお気をつけて。それでは、失礼します」
「有難うございました」
軽く礼をした後に男性は踵を返し、その場に凛と葉月が残された。
ずっと葉月のジャケットをつかんでいた凛が、手をそのままに大きくため息をつく。

「――凛?」
「びっくり、したあ・・・・・・」
もう片方の手を胸にあてて、何度も凛は息を吸い、そしてはき出す。 その仕草を見て葉月は笑いながら、カートに手を伸ばして凛を促す。男性とは、逆の方向へ。
「何に。ああ、さっきの女性?」
「それも、ですけど。・・・もうひとりの方」
「今の? どうして」
「・・・どうしてって、それはこっちのセリフです。どうして『わかった』んですか?」
「わかったって、何が」

その言葉を聞いた途端、凛がぴたりと足を止める。

「あの、もしかして・・・葉月さん、気づいてない?」
「だから何に」
「今の人、『日下部さん』って呼びましたよね」
「ああ。プレートにローマ字表記してたからそのまま読んだ。凛と同じ名字だな、そういえば」
再び歩き出した葉月の隣に並んで、凛はしばらく考え込んだ上で、口を開いた。


「――身内、です。わたしの」
「ああ、親戚? 従兄弟とか」
「じゃなくて。兄、・・・です」
今度は葉月が歩みを止め、まじまじと凛を見つめる。

「・・・それってオレと同い年の?」
「そう」
「『煙草やめてくれない』って凛が言ってた」
「そうです」
「夏と冬しか会えないって・・・」
「すごい、よく覚えてますね葉月さん。 わたしも久しぶりに会ったんですけど、4月付けで空港への異動が決まったらしくて、引継ぎに来たって言ってました。 ずっと前から兄の夢だったんですよ。『オレは空港に関わる仕事がしたいんだー』っていつも言ってて・・・・・・あ、すみません」

軽快なメロディが割って入り、口元に手をあてて押し黙る葉月の隣で、凛は鞄の中に手を入れ携帯電話を取り出す。
「はい、日下部です。何? わたし他にも落とし物して・・・・・・、えっと、だから会社の・・・え、ちょっと何言って・・・・・・。もう、お兄ちゃん!」
数秒も経たないうちに、彼女はむう、と頬をふくらませて電話を切った。
「もう。いっつも言うだけのくせに」

「兄さんから?」
「はい。いっつも言うばっかりですから、聞き流してます。ほんと、妹莫迦なんだから」
「――何て?」

凛は案内表示を指さして進行方向を確認して、ふふっと笑いながら葉月を振り仰いだ。
無防備な笑顔のままに聞かされた言葉は、凛には何と言うことはない、兄の言葉。
しかし葉月にとっての『彼』の言葉は――――『彼女』の出現と相まって、さらなる波乱の日々の始まりを予感させるもの。



「『近いうちに行くから、ちゃんと説明しろ』って」


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