Signal Red 2nd

- シグナル・レッド -

隠していた、空白の時間。
Updated: 2010/08/17


#03 沈黙と無言[1]



「須山です」

鳴った瞬間から、あまり嬉しくはない内容だろうとは思っていた。しかし、かけてきた相手が絞れるだけに、感情を抑えるしかない。 はたして、予想順位第一位の人物が昨日までとは異なる言葉で名乗った。
『秘書課の今橋です。お休み中に申し訳ありません。秘書室の電話がふさがっておりましたので、こちらにご連絡いたしました』
「秘書室は別の内線がかかっているようです。それで? 何かありましたか」

時計を見ると、昼休み終了時刻まで残り5分少々。
その状態で、秘書室の電話がふさがっているからというだけの理由で、秘書課長である今橋自らが電話をかけてきた、ということは。
葉月の脳裏にいくつかの可能性が浮かぶ中、今橋は淡々と続けた。
『お客様がいらしています』
「客? 私に対する客ではないのでは?」
『・・・おっしゃる通りです』
苦笑しつつ、今橋が応じる。
元々の来客相手は、葉月ではなく他の役員なのだろう。今橋も、それを否定しない。

客の名前を、葉月は口にしたいとは思わなかった。十中八九間違いないとわかっているからこそ、決して。
誤解を解くべく凛に説明する時にはためらいなどなかったのに、状況が変わるとこうも違うのだと思い至り、葉月はくすりと笑う。
そのまましばらく続いた無言は、秘書課長の浅いため息によって破られた。

『いらしているのは、葛原様です』
「――そうですか」
『はい』
「どっちの」
『以前、電話をかけてこられた方です』
「・・・成程」

予想より早かった。空港で会ったときに、『4月以降なら』とは言ったが、よもや初日から出向いてくるとは。 しかも直接ではないあたりが、考えたというか。
デスクの上でこぶしをぎゅっと握りこみ、葉月は主たる役員の経歴を思い起こす。 そして、役員の間に横たわる、派閥という名の仲良しグループとそのメンバーを。

『社長。「松前」、という名前にお心当たりは。それが凛に「言わない」理由、――ですか?』

数日前のまゆみの問い。加えて、彼女に情報を流した、彼女が以前仕えていた人物。
そのふたつを組み合わせると、答えは簡単に出た。


「・・・佐々木専務のところですね」
『おっしゃるとおりです』
「続きを」
『午後の社長の予定について問い合わせがありました。お二人一緒に、午後一番で伺いたいと言われていますが』
「10分後に案内を頼みます。課長も同席を」
判断を仰がれ、葉月は即答した。
かしこまりました、と言う今橋の口調は冷静そのもの。

引き寄せられるかのように、熱くなりかけた思考がゆるやかに冷めてゆく。だが平常のレベルに戻るには、数分では足りない。そう葉月は思った。

もし、手元に煙草があるとしたら、迷わず口にくわえるだろう。そして、探すだろう。
あの、ライターを。


   ◇◇◇


「何かありました?」

同時刻、社長室を出てきた凛は秘書席にいる羽野に軽く頭を下げ、給湯室へとさらに移動していた。 マグカップをシンクに、コンビニ弁当をゴミ箱へと分けながら、電話の向こうのまゆみに話しかける。
すると、何故かまゆみはため息をついた。

『その分だと、見てないわね』
「何を? 昨日のドラマか何かですか?」
『素敵なボケを有難う。もしかして、今忙しい?』
「いいえ。秘書席には羽野さんがいてくださってますし。本当に、どうしたんですか。何か・・・」
『――携帯電話、そばに置いてる?』
「今、給湯室なんです。ちょっと待っていただければ・・・」
『いい。見なくていいから、取りあえず私の話を聞いて。簡単なクイズだから』
「・・・は・・・?」
いい? とまゆみはさながら小学生を教える教師のような口調で言う。

『お昼のニュースに、ウチの社長が出たの』
「はい」
入社式の様子だろう。例年のことだから、これはわかる。
『でね、広報室の情報だと、関東地区のほぼ全てのチャンネルで映っていたらしいわ。 つまり、少なくとも何万人単位で観た人がいるってこと。自宅や職場、他にも駅や空港みたいに人が多く集まるところでね』
ふんふん、と聞いていた凛は、とある言葉で固まった。
「・・・『空港』?」
『そう。かなりアップで映ってたらしいのよね。 まあ、あの通りカメラ映えする顔だし、白髪頭のおじいさんを流すよりは良いってテレビ局側も思ったんじゃない?』
「ってことは、葉月さんって・・・」
『あの顔を知ってる人間なら、ね』


凛の兄である日下部実(みのる)は、4月1日、つまり今日から正式に空港勤務となっている。
休憩中だったのか職務中だったのかはさておき、『あの時』妹と一緒にいた人物が、妹が勤務する会社のトップであると知られた、ということになる。 しかも、どう説明しても『ただの上司と部下』には見えないシーンばかり、相当の至近距離で見られていた。言い訳のしようもない。
別に言い訳が必要なわけではないけれど、出会いといい今回といい、何故こうも『普通じゃない』状況で、なのだろう?

「・・・最悪・・・」
頭を抱え込む凛に、追い打ちをかけるようにまゆみが電話の向こうから名前を呼ぶ。
『携帯見る時は、覚悟決めてからにすること。電話もメールも、相当攻撃されてるはずだから』
「わたしがいつまでたっても取らないから、そっちにも電話してきたんですね・・・」
『うん。取りあえず仕事で席外してるってだけ言っておいた。これで異動先を知ったら、倒れちゃうんじゃない?』
「・・・かも、っていうより確実、です」


とにかく、昔から実は凛を大事に大事にしてくれた。
周りからシスコンと言われようが、お構いなし。父親が凛の成人前に病気で亡くなったことが、実が凛を猫可愛がりする最大の要因だろう。 ともすると過保護に感じることもあるけれど、その根本がとても純粋なものであればこそ、正面切って反論もできない。
けれど、いくらなんでも職場にまで電話をかけてくるなんて、非常識にも程がある。

一度きちんと話をしなければ、と決心していると、エレベータの到着音が凛の耳に入ってきた。 今橋の誘導する声に、羽野が立ち上がったのか、椅子のきしむ音。来客の予定はなかったはずだが、何かあったのだろうか。
『凛? どうかした?』
「ちょっと待ってください、まゆみさん」
小声で断りを入れ、凛は電話に手をあてた。今更秘書席に姿を出すわけにもいかず、来客人数だけでも把握しようと耳をすます。

質の良いカーペットは、足音のほとんどを消してしまう。 先導する今橋に、「専務」と声をかけられている男性。それから――もう1人? 羽野ではないとすると――。
ノック音に続いて聞こえた声、その言葉、その内容に、凛は立ちすくんだ。程なくかすかに香ってきた香水が、推測を確信へと導く。
「葛原様、どうぞこちらへ」
有難うございます、と女性の声が応える。その名は、つい先ほど聞いたばかりだ。間違いない。


『凛?』
「・・・あ、すみません。お客様がお見えに」
『外部の人間ね。誰? 話せるようなら、教えて』
凛は一瞬逡巡したが、抑えた声量で答えた。
「わたしとあまり変わらない年齢の、女性の方です。葛原様とおっしゃいます」
『葛原・・・?』
訝しげなまゆみの声。 その声の意味を凛は尋ねようとしたが、給湯室に顔を出した羽野に身振り手振りで湯茶の準備を指示され、電話を切らざるを得なかった。


「まさか、葛原志織・・・」

ツーツーと機械音を発する携帯電話を耳元から離しながら、まゆみはつぶやいた。
思わず、天井を見上げる。経理部のずっとずっと階上へと、思いをはせる。
助けには行けないもどかしさと、葉月がいるから大丈夫、との安心感。
相反する思いのシーソーは、今はまだ、わずかに安心感の方へと傾いている。根拠は、あの時の葉月の笑顔。


「信用してますからね。――『社長』」


back | top | next

蚊荐 mail form

膊∞篋阪篏с 菴篆
#≪壕ャ鴻贋・菴篆<障

H.N.

Copyright © 2008-2012, Yuki NANAMI, "EYES ONLY"




ヘッダ画像




Total: