Signal Red / 1st story Annex #002

- シグナル・レッド -

飛び立とうとする君へ、羽を。
Updated: 2009/06/08


#002 銀の羽 - side HADUKI -

1st本編開始前(L.A.時代)、そしてラスト近くの葉月です。



その炎は温かく、重力に反して立ち上る。高く高く、まっすぐと。

明日から、葉月は外見だけで簡単に人を見下すような世界に、足を踏み入れることになる。 その怖さを誰よりも知っているからこその、友人の心遣い。
だがしかし、『立場上、おまえにやりたくはない』とのコメントに、葉月は笑った。
初めて手にする長方形の銀色の輝きは、明日からの生活を象徴しているようにも思える。
礼の言葉と共にポケットに仕舞おうとする葉月に、友人が言う。

「あの時のセリフ、覚えてるか?」
「いつだよ」
「『止めるとしたら』の話」
「止める気はないね、当分」
「そうか? もしもの時は、遠慮なく捨てろ」

おまけ、とオイルも渡される。過度ともとれる心遣いは、彼にしては珍しい。 もしや、中身が別物ではないかと勘ぐりたくもなる。が、しかし、続けて耳に届いた言葉は、その思考を止めるに充分な内容だった。
「後腐れないようにしろよ」
「・・・するわけないだろ。『立つ鳥跡を濁さず』って知ってるか?」
「引き際の潔さ」
「そういうこと」
あえて、『何を』かを言わない友人。聞かない自分。
その一方は1年以内には、もう一方は一生ありえないだろう、と思っていた。

「屋上にヘリポートがあっただろう? そのうち乗り付けてやる」
「おまえが? 分単位のスケジュールの合間を縫ってか?」

即座にやり返すと、相手はひと呼吸置いてそうだな、とつぶやいた。
彼の予定は1年先まで埋まっているらしい。今この場ですら、許されている時間は5分。 秘書がスケジュールを管理し、彼自身が自由にできる時間はほとんどない。そんな状況に、葉月も置かれることになるのだ。
真顔になる葉月を一瞥し、年下の友人は軽く目を伏せた。


「――何か起こらない限り無理だ」

彼ほど変化に富んだ、しかし単調な生活を送っている人を、彼以外に葉月は知らない。
自分も、同じように考えるようになるのだろうか。変化を求めるようになってしまうのだろうか?

気まずくなってしまい、何とか話の流れを変えようと、葉月はもらったライターをまじまじと見つめた。
羽の模様が刻まれている。片面のみに、片羽。綺麗な模様だが、どこか寂しいようにも思う。
「これ、最初から片面だけか?」
「いや」
「どうして」
「この方が似合うと思った」
「?」
その後すぐに彼の秘書が現れ、話はそれで終わってしまった。


   ◇◇◇


ソファ兼ベッド、デスク、デスクトップタイプのコンピュータ、テーブル。その他は生活するのに必要最低限の家電製品だけ。
決して広い部屋ではないが、そう感じさせるのはひとえに極端なまでに物が少ないから。

葉月は着替えなどを旅行用鞄に詰め終え、ざっと部屋を見渡した。パスポートと財布を確認して、ぽん、と鞄をたたく。 そして、テーブルの上に腰を下ろし、ジーンズのポケットから煙草を取り出し、もらったばかりのライターで火を点けた。
いつから吸い始めたのか、はっきりとは覚えていない。
周りが吸っていたから何となく、というのが多分真実だろう。 銘柄はその時々で変化していったけれど、禁煙という選択肢は出てこなかった。それは、海を渡った後でも同様で。
肩身の狭い思いをしながらも、やはり手放すことはできなかった。もう生活の一部といっても良いくらいだったから。


いつだったか、止めるとしたらその理由は、と仮定の話を酒の席で喫煙派・禁煙派の友人を交えてしたことがある。
就職だ結婚だ、と口々に言い合う中、とある友人が葉月に対して言った。
「ハヅキの場合は、恋人のひと言だろうな」
「ああ、言えてる。単に口寂しいだけだもんなーハヅキが吸う理由は」
「美味いから、じゃないだろ?」
「何なら、誰か紹介してやろうか? 見事止められたら、浮いた金で奢ってもらうってことで」
勝手に決めるな、という葉月の意見は完全に無視。金髪だ、いやアジア系が良いだろう、などと話はどんどんふくらんでいく。
いい加減にぶち切れた葉月は、中身が外に全て飛び跳ねてしまうくらいの勢いで、バーボングラスをテーブルに叩きつけた。
集中する視線に対し、満面の笑顔で返す。
「Go ahead, make my day.(やれるもんならやってみろ)」
その迫力に押されてか、実際に紹介されることはなかった。
紹介されることはなくても、この数年間に女性と知り合う機会はあったし、つきあいに発展したケースもあったが、 禁煙をやんわりと勧められても実行に移す気になんてなることもなく。
きっとこのまま一生吸い続けるのだろう、とぼんやりと考えてはいる。
止める必然性もないし、止めたいとも思わない。だから、止めない。この三段論法は崩れることはない、と。

葉月は煙草と同じ場所にもう一度指を突っ込み、小さなカードを取り出した。
ライターが入っていた箱の裏に、半ばくっつくようにして入っていた、メッセージカード。 開くと、癖のない日本語でこう書かれていた。

『今いる場所から飛びたいのなら、もう片方の羽を持つ相手を早く見つけろ』

だから、片羽にした、と言いたいのだろう。似合う、などと言われても、素直に喜べないし、それに。

「『もしも』なんて、・・・ありえない。『飛びたい』なんて、思わない」

『ここ』は、やっと見つけた自分の居場所だ。だから、何もかもそのままにしておく。 3ヶ月か半年か、どれくらいの期間になるにせよここに『帰って』来る。
何故自分なのかはわからないが、せっかく経営学を学んだことだし実践できるのなら願ったり叶ったりだ。大企業だというのが、唯一引っかかるが。

いずれにせよ、日本に『行って』も、自分は変わらない。
そう、信じていた。


信じ切って、いた。


   ◇◆◇


どさり、と腰を下ろし、葉月は時計を確認して大きく息をついた。
「何でこんなに時間がかかるんだ・・・」
気が短い方ではないと自他共に認めているが、それでもこれは許容範囲を遙かに超えている。

時期的に卒業旅行とかぶっているからか、それともこれが日常なのか。
今橋に『間に合わなくても知りませんよ!』と二度も怒られるまで仕事をした割に、余裕を持って空港に到着したと葉月は思っていたのだが、 セキュリティチェックと出国審査で大幅に時間を取られてしまった。 昼食を摂っていない身としては、搭乗まで間がなく食べ物にありつけそうもないというのは少々辛いが仕方がない。 今橋の言葉は、実に正しかったということだ。
どう見ても日本人の大学生としか思えない面々が、免税店を前に財布のひもを緩めまくっている光景をよそに、 携帯電話を海外仕様にしなければ、とコートを探っている葉月の耳に、タイミング良く単調な電子音が聞こえてきた。
画面には、素っ気なく『非通知』とある。非通知の場合でも特に拒否にはしていない葉月だが、 それでも一応しばらく鳴り続けているのを確認してから通話ボタンを押す。 もう片方の手で搭乗券を取り出しながら、もしかして、という思いがあった。
この番号を知っているかは定かではないし、わざわざ電話をかけてくるような相手でもないのだが――


「――はい?」
『帰ってくるのか? それとも「行く」?』

なまりのない、完璧な日本語。それはここ数ヶ月における日常となっているはずなのに、この声は明らかに異質だった。 感情がまるでない。皆無と言って良い。まるで機械が――実際に機械を通した音声なのだが――話しているかのような、声。
完全に不意を突かれてぐっと押し黙る葉月に対し、電話の向こうにいる相手はふっと笑った。

そうだ、こいつはこういう奴だ。葉月は空港独特の高い天井を見上げ、目を閉じる。
本人にその気がなくとも『間が悪い』ということはあるが、こいつは『あえて』『間が悪いタイミングを見計らって』こちらが返答に困る質問を投げてくる。
まったく、性格が悪い。ひねくれすぎている。

「・・・わざわざ調べたのか?」
『そっちが網にかかってきただけだ』
「魚かよ。そんなにオレに会いたいわけ?」
『そうだな、ルイス程じゃない』
「・・・勘弁してくれ」
ルイスは、葉月の専門分野とほぼ同じ領域を研究している准教授だ。 優秀な研究者で、れっきとした男性であるが、何故か葉月に『興味』があるらしく、葉月は逃げ回っている。
そのことを思い出し、葉月は即座に白旗を揚げた。だが、このまま負けるのは悔しい。
「おまえ、暇なのか?」
『3週間も休暇を取る奴が何を言う』
「タヌキが話したな」
『・・・自分の会社のセキュリティを疑わないのか』
「全く」
ふと、葉月は気づいた。雑音も微妙な『間』もない。いや、音なら聞こえている。しかし、これは。
「――おまえ、今どこにいる?」
瞬間、ピッと通話が切られた。ぱちん、とごく近くで携帯電話を折りたたむ音が続き、葉月は振り向いた。

「その顔は、『行く』で決まりだな」


   ◇◆◇


「相変わらず神出鬼没だな。どうやってここに入ったのか、聞くのが怖い」
「正規ルート」
「最初から嘘とわかる嘘をつくな。ったく、おまえの将来が心配になってくる・・・」
「もう遅い」
「・・・だな、確かに」

土産を買い込んだ人々が鞄に品物を詰め、あるいは早速手元で広げるなどしてざわつくなか、 ふたりは悠長に椅子に腰を下ろし、全く実のない会話を繰り広げていた。
半年の間に起こった、友人達の就職のことや研究のこと。今の自分たちのことは一切語らず、それでも話題は尽きない。 特に研究に関しては、時間が絶対的に足りないくらいだ。

搭乗開始を告げるアナウンスが流れ始める。視線を搭乗口へと向けた葉月は、隣から名前を呼ばれて振り向いた。
「引き払うのか?」
「ああ。もうしばらくは日本にいることになりそうだし、家賃も莫迦にならないし。適当に処分してくる」
「『しばらく』?」
「――そう言うおまえは?」
旅行鞄の持ち手を肩にかけて立ち上がり、葉月は『少年』を見下ろした。
「・・・葉月・・・」
「知ってる。っていうか、何かがあったんだろうって程度だけど。じゃなけりゃ、おまえが日本にいるわけない。 ――『ユウ』に会ったか?」
「・・・・・・」
かすかにうなずいた少年の髪を、葉月はくしゃくしゃと撫でた。彼はされるがままになっている。
「また3週間後にな。予定を早めるかもしれないから、時々乗客名簿をチェックしてろ」
「わかった」
「よし。じゃ、『行って』くる」

はっきりと言い置いて、葉月は大勢の乗客に続いて搭乗口を通り過ぎた。
先ほどまで座っていた位置からは動かず、それでもこちらを見ている少年に、軽く手を振る。 その手をポケットに入れて携帯電話を取りだし、電源を切ろうとしたところへ、メールが届いた。
目を見開いて振り向いたが、もうそこに少年はいない。苦笑しつつも返信をして、今度こそ電源を切った。
客室乗務員のにこやかな笑みを受け、機内へと入る。二度と、振り向くことはなかった。


ひとり残った少年は、メールを送信するなり立ち上がり、近くにあるSTAFF ONLYと書かれた扉を開けた。
いくつか角を曲がり、やがて長い直線となった通路の先に、スーツを身にまとう人物が数人。 彼の姿を認めるや否や、全員が頭を下げる。
「お待たせしました。行きましょう」
一瞬にして、少年は表情を変えた。腕に持っていたジャケットを羽織ったその横顔は、葉月に良く似ていた。


   ◇◆◇


メールは、葉月がプライベート用に使っているパソコン用のアドレスへと送信した。 やはり、携帯へ転送する設定をしていたようだ。 携帯アドレスを知らないわけではないが、どうやって情報を入手したのかと聞かれると面倒なので使うのを止めた。
送った内容は、簡潔そのもの。タイトルのみで、本文はない。


"片羽の相手は見つかったか?"
「・・・いかがなさいましたか?」
「いえ・・・」
車窓を流れる景色を追いながら、少年はかぶりを振る。腕時計で時間を確認する。まもなく定刻。


返信の本文は、輪をかけて短かった。ただ、一文字だけ。
葉月が返してきたのは、アルファベットの25番目の文字。



『Y』


[ fin ]


back | top
index > opus > Signal Red > 1st > Annex #002

蚊荐 mail form

膊∞篋阪篏с 菴篆
#≪壕ャ鴻贋・菴篆<障

H.N.

Copyright © 2008-2012, Yuki NANAMI, "EYES ONLY"




ヘッダ画像




Total: