Signal Red / 1st story

- シグナル・レッド -

このシグナルは警告か、それとも。
Updated: 2009/02/14


1st 06. 「花と香」 [1]



「一度、関西支社にもおいでください。 来年度から新しいプロジェクトを立ち上げるために、他の支社にはない試みを始めております。例えば・・・」

こういう時、社長という足枷をひどく重いと感じる。 だが、今橋がセッティングしてくれた予定を覆すわけにもいかず、葉月は関西支社長と向き合っていた。
時間どおりに始まり、ほぼ予定通りに終わった打合せの後、支社長は人の良い笑顔を振りまきつつ葉月へのアピールを忘れない。 だが不思議と、引き込まれる話しぶりだと思う。
仕事ができるがゆえに階段を上がる人物がいれば、口ひとつで周りを巻き込みつついつの間にか豪奢な椅子に座っている人物もいる。 まあ、自分のようにどちらでもなく引きずり込まれたヤツもいる・・・などと考えつつ、葉月は表面上うなずきながら、 大量の書類を格闘している凛達のこと、そして今橋達から聞いた話を考えていた。



現・経理部長の清水が発見した不正の足がかりは、丹念に調べた結果のもの——ではない。偶然見つけたものだった。
たまたま経理システムの生ログを追いかけていた彼は、とある発注データが入力され、数分後に消去されるところを見ていた。 単純な入力ミスかと思ったが、数日後、我が目を疑った。『消されたはずのデータが、復活していた』のだ。
毎日残しているバックアップファイルを見直してみたが、確かに一度はデータが消去されている。 翌日も、翌々日のデータにも痕跡は見あたらない。だが、とある日の午前0時時点でのバックアップファイルに、突如データが出現している。 しかも、ログにはその入力の痕跡がない。
ありえない現象。加えて、すでに支払いが済んでしまっているその金額を見て、清水はさらに驚いた。

発注伝票との照合をしたくても、伝票自体は経理部にある。月次報告が適正なのか、それを調べることはさらに越権行為。
本来ならば、上役である情報処理部長に報告すべきことだろう。だが、それはできない相談だった。 保身を第一と考える上司の場合、もみ消される可能性が高い。 証拠といえる証拠もなく、また当時の経理部長と情報処理部長は犬猿の仲ともっぱらの噂だったから。
悩んだ上で、清水は同期入社の今橋に打ち明けることにした。 今橋とは入社当時から何となくウマが合い、たまに飲みに行くこともあった。ただし、仕事を抜きにして、だったが。

総務部秘書課長に話すことは、イコール社長の耳に入ることと同義と言っても良い。 それがわかっているからこそ、今橋は仕事の話を自分からは一切口にしない。いつも聞き役に回り、 あたりさわりのない受け答えをする。けれど、清水の話を聞いた時は、反応が違った。

『今、話してくれたことを、会長と社長に話してくれないか。すぐにセッティングする』

それは、葉月が社長に就任する前年の暮れのこと。
その後同様の現象を発見するものの、やはりデータは一度消え、いつの間にか復活する、その繰り返しだった。復活するまでのスパンは一定ではない。

けれど、いくつかわかったことがあった。

相手先は2社のみ。ダミー会社らしく、そこから先は袋小路だが、通常の取引には登場しない。
そして、もうひとつ。
同様の現象が何故起きるのか、どうやって『起こして』いるのかが、『誰が』起こしているのかが未だにわからない、ということ。


   ◇◆◇


社会人と呼ばれる立場になって、5年。この会社に入社してからの年月と、同じだけの長さ。
振り返ってみて忙しい1日だった、と思ったことは何度もあったが、そんな記憶はこの2日間で吹き飛んだ。

「・・・これ、全部ですか・・・!?」
「うん。青柳さんのチェック早いから」
「早すぎですよー・・・照合が間に合わない」
「何なら、社長に頼んだら?」
書類のチェックにかけては経理部随一、と評されるまゆみが膨大な量の書類をさばき、 一時的に経理システムに入れる権限を与えられた社長秘書用のパソコンから、凛が当時のデータとの照合を行う。 羽野は社長専用フロアと旧サーバ室を行き来し、書類の束を運ぶ。
「それ、本気でおっしゃってます?」
羽野を軽くにらみながら凛が言っていると、その声にかぶるようにエレベータの到着音。 複数の役員が凛達の前を通り過ぎ、社長室へと入ってゆく。

「何か、えらく慌ただしいね」
「ええ、昼前からずっとこんな調子で。まだお昼も召し上がっていらっしゃらないんです」
「「まだ」って・・・もうすぐ3時だよ?」
「そうなんですよ! 社長、朝も食べてないのに・・・あのお饅頭1個だけで大丈夫かなあ・・・」
忙しく目と指を動かしながらもため息をつく凛に、羽野はぷっと吹き出し、あわてて咳こむふりをしてごまかす。
「・・・それはそうと、日下部さんは食べた?」
「——あはは」
「あはは、じゃない」

関西支社長の訪問の後、何か急を要する事態が起こったのか、入れ替わり立ち替わり役員が社長室へと入っていく。 その都度コピーや他の役員への連絡・調整に時間を取られ、凛はその片手間に照合作業に追われ、文字通り『目の回るような忙しさ』を身を持って体験した。
一方葉月は、いくつも打合せをこなしつつ、凛達が新たに作成した書類のチェックを行い——・・・ 結局、昼食になるはずだった弁当が、このままでは夕食になってしまうのは確実だ。

「早く終わらないかなあ・・・」
通常ならば、15時はコーヒーブレイクの時間。あと5分後だ。
入室した役員は総務部長だけだから、葉月もいくらか気心が知れているはず。飲み物を入れてもいいかもしれない。 さっき支社長からいただいた八つ橋があるから、緑茶の方が良いだろうか。
「給湯室行ってきます」
羽野に言い置いてから電気ポットに水を注ぎ足していると、社長室の扉が開いた。 慌てて廊下側に顔を出すと、何とか覚えた総務部長の背中が見える。
「羽野さん、社長にお茶淹れますから」
「ん、了解。美味しいのを淹れてあげてください」
はい、と凛は胸の前でこぶしをぎゅっと握り、お湯が沸くのをまって湯冷ましを使い、まゆみに教えてもらったとおりに丁寧に緑茶を淹れた。 漆塗りの小さな器に八つ橋を並べながら、背後に感じた気配に体勢はそのままに凛はくすりと笑う。

「大丈夫ですよ、羽野さんの分もちゃんと・・・」
「それは良かった」
「・・・・・・!」
びくっと凛は首をすくませた。そのせいで手元が狂い、皿から八つ橋がこぼれ落ちそうになる。 それを待っていたかのように、細長い指が凛の指に触れ、震えを止めた。断じて、羽野の指ではない。
「ここで食べてもいいです?」
こくん、と凛がうなずくと、葉月は凛を背中から抱きかかえているような体勢で、 器用に和菓子を口に運び、そして湯飲みを手に取る。その間、凛は動くことができない。

「美味しいですね。関西支社長の?」
「・・・はい。たくさんいただきました」
「そう。羽野さん達と分けてください」
「有難うございます」

ふりほどこうと思えば、できなくないはずなのに。
何故、しようとしないのだろう。



秘書席に戻ると、羽野はいなかった。
「・・・申し訳ない。余計なことを押しつけてしまって」
凛の、元は今橋の机の上を見やり、葉月は立ち止まって振り向く。
「いえ。わたしが主任のチェックに追いついていないだけです。でも、確かにおかしいですね。 これ、6年前の伝票なんですが、いつ入力されたかがはっきりしていなくて。本稼働前だったからかもしれないんですが・・・」
言いながら、凛はスクリーンセーバー状態のコンピュータ画面を、経理システムのメイン画面へと変える。瞬間、葉月が身を乗り出した。
「・・・これ、は——」
「社長?」
「これが、ここの経理システムなのか?」
「? はい」
「いつから稼働してる?」
「1回バージョンアップをしていますが、システム自体は今年で5年目になります。 その前に1年、旧システムと並行稼働させていたと聞いています」
ただならない葉月の表情に、凛はきちんと答えた。その答えに葉月は数秒間考え込み、すっとデスクから身を引く。
「ログインして」
「はい」
その後、葉月はいくつかの指示を出した。凛はその通りにシステムを操作し、様々なメニューページを表示させる。
一歩下がった位置にいる葉月の表情は、この上もなく厳しい。
凛は、最初こそ表示を変えるたびに葉月を振り返っていたが、それを途中から止めた。

葉月は、このシステムを見るのは初めてだったのだろう。社長自らが経理システムにログインするなんて考えられないから、それも道理だと凛は思う。
それでも、あの驚きぶりは尋常ではなかった。『こんなシステムを使っていたのか』ではない。 『「この」システムを使っていたのか』——間違いなく、後者に近い。

いったい、何故。考えても、わかるはずもない。ここ数日、こればかりだ——



「——有難う。もう十分です」
葉月は唐突に打ち切り、凛の隣に立った。視線は画面から外さずに。
「あの・・・」
「日下部さん」
意図的に遮られた。それに気が付いて、凛は口をつぐむ。
「青柳さん達に一時作業を中止するよう伝えてください。しばらく休憩を取るようにと」
「社長・・・?」
「君も休憩を取ってください。1時間は席を外していいですから」
「社長」

見ない。こっちを見てくれない。
何故、そんなに哀しそうな顔をしているの。
何故、そんなに厳しい顔をしているの。
おかしい。ほんの短い間に、葉月が葉月でなくなってしまった。お菓子を食べていたときは、確かに社長ではなく素の須山葉月だったはずなのに。

「今日は残業を覚悟してもらってますからね、気にしなくても・・・」
「・・・葉月さんっ」

とっさに名前を呼び、凛は右手を伸ばしてスーツの袖をつかんだ。二度三度、引っ張る。
葉月がようやく、凛を見た。意図的に、感情を隠している。そう、凛は思った。
「葉月さん」
もう一度、呼ぶ。左手も同じように伸ばした。葉月は身体を引かず、それを受け止める。


「——巻き込みたくないって、思ってらっしゃるんですか?」
「・・・・・・」
「もう遅いですよ。最後まで、ちゃんと見届けさせてください。お忘れかもしれませんが、わたしは今橋課長の代理です。 課長なら、絶対に社長のそばを離れないと思います。それに、まゆみさん達が、このまま黙って引き下がるわけないじゃないですか」
「・・・そうかも、知れませんね」
くすり、と葉月が笑う。つられて、凛も笑った。
ひとしきり笑ってから、彼女は再び顔を上げ、視線を合わせた。もう、相手はそらそうとしない。もう、大丈夫だ。


「社長。——ご指示を」


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