Signal Red / 1st story

- シグナル・レッド -

このシグナルは警告か、それとも。
Updated: 2009/02/18


1st 06. 「花と香」 [2]



緊急の案件、と前置きして呼び出された清水経理部長は、葉月によるごくごく簡単な現状説明、
というより『結論』に驚きの表情を隠さず、次いで出された指示に、苦渋の表情をやはり隠さずに返した。

「難しいようですね?」
「いえ、そういう・・・」
「遠慮は無用です。部長の意見を聞かせてください」
「では——私見ですが」
「どうぞ」
葉月の言葉の嫌味のなさに、清水は舌を少し湿らせる。

「社長命令とあれば、全社員が従います。ですが、必要十分な理由が明確にされないままでの命令は、動揺が広がるのは避けられず、 またこちらの動きを悟られる危険性もあります。緊急性は落ちますが、経理部より情報システム部へメンテナンスの要請を出せば、 サーバ室へ入ることが可能です。何とでも理由をつけて・・・ちょうど月末ですから締日前のメンテナンスとでも言って情シスにねじこみますので、 一両日お待ち頂けませんか」
「メンテナンスですか。通常、誰が作業を行うのですか」
的確な指摘に、清水は黙り込む。
「——係長もしくは主任レベルです」
「部長の意見は理解できますが、それでは話になりません」
葉月は足を組み替えながら、低く言い放つ。

「あのシステムがどれだけ複雑か、部長ならよくおわかりのはず。 専門職ではない一般社員が太刀打ちできるレベルとでも? 私はこの件に関して他の者に任せるつもりはありません。 たとえ清水部長、あなたであっても。
 それでなくても締日が迫っている状況で一両日待つなど、論外です。全システムを止めてでも、一刻も早く・・・」

消去したはずのデータが復活する日にはばらつきがあるが、はっきりとした傾向があることをまゆみが指摘した。 それは、取引先への支払の為の締切日、つまり『締日』の数日前から当日だということ。
経理部が支払い業務に追われる日を狙っていることは間違いない。 チェック機能がわずかに低下する隙をついて、数回にわけて莫大な金額を横領している輩がいるのだ。
「おっしゃりたいことはわかります。ですが・・・・・・社長?」

ふいに、葉月が黙り込んだ。
視線を自らの机上、コンピュータへと向けてから、再び清水に向き直って肘掛けに腕を置く。5秒が過ぎ、10秒を超える。
やがて結論が出たのか、葉月は身を乗り出した。その笑みが恐ろしいほど自然で、清水はぞくり、と背に冷たさを感じた。 指先にまで、それが伝わる。
圧倒される。親子ほどまでいかずとも、二回りは年下の人物に。

「部長、確認したいのですが」
「・・・何、でしょうか」
「緊急かつ重大性が伴い、加えて理由が明確で、誰しも納得できることであればいいのですね?」
「それは・・・はい、そのとおりです」
冷たさの次は、熱。いや冷や汗か。ポケットの中のハンカチを探りながら、清水は何とか気持ちを落ち着かせつつ答える。
「そのような事態が起これば、情シスがシステムダウンも致し方なしと判断する、と」
「はい」
「そうなれば、全社が甘んじて受ける、と?」
「——はい」
おそるおそる、だがはっきりとうなずいた清水に対し、葉月は安堵の表情でうなずき返した。

「そうですか。でしたら簡単ですね」
「・・・は・・・?」
清水は、自分の耳を疑った。
今、『簡単』と彼は口にしたのだろうか? 『難しい』、ではなく? 何が、一体この案件のどこが簡単と言っているのだろうか?

「そうか、最初からその方向で考えれば良かったんですね。 10分も無駄にして申し訳ありません。もう少しだけ、時間を借りても?」
「は、はい」
立ち上がり、部屋の奥へと向かう上司の背中を、清水は目で追うしかできない。 その背中は机の前で止まり、秘書室直通のインターフォンのボタンを長い指が押す。
「日下部さん、こちらに来てもらえますか?」


控えめなノックの後、清水に対して会釈しつつ凛が入室した。
「社長、お呼びでしょうか」
「忙しいところ申し訳ない。今から終業時刻まで、というより今日これからのすべての予定をキャンセル。 誰も社長室に入れないように。電話も同様です。それから、羽野さん達に通常業務に戻るように、と」
「——はい。本日のすべての予定をキャンセル。どなたも、どの電話も取り次ぎはしない。羽野さん達への伝言も含め承りました」
復唱する凛に、葉月はにこりと微笑みかける。

「ところで日下部さん、頼んだ資料はローカルで保存していますね? 青柳さんも」
「あ、はい。主任もわたしも、社長のご指示どおりに。お急ぎですか?」
「いえ。まだデータも揃ってませんからね。ではもうひとつ、日下部さんにのみ追加で。 あなたのコンピュータを完全にオフライン環境にしておくように。『完全に』です」
「社長?」
完全にオフラインの状態では、社内限定の回線で動くシステムの類が全く使えなくなる。 社内メールも、社員のスケジュールも閲覧できない。 通常業務のほとんどをコンピュータの、それもオンライン環境での作業に頼っている凛や清水にしてみれば、ただの箱同然になってしまうのに。
清水がとっさに口をはさんだが、葉月の低い声がその場を制圧した。
「社長命令です」
「・・・・・・はい、そのように致します」
よろしく、と葉月は言いながら、再び机の方へと足を向けた。脇を通り、コート掛けに腕を伸ばす。
「お出かけですか? 羽野さんに・・・」
「必要ありません、野暮用です。戻りは・・・そうですね、1時間後くらいかな。清水部長、後をよろしく」
葉月の答えに、凛と清水は顔を見合わせる。
「あの、どちらへ」
「んー? ちょっとそこまで」
歩きながら器用にコートに袖を通し、今しがた凛が入ってきた扉に手をかけた葉月は、 秘書からの控えめだが必死の問いをはぐらかす。そこへ、硬い表情の清水が立ち上がった。

「社長」
「何でしょう」
待っていたかのようにぴたりと動きを止め、葉月は振り返らずに口を開く。
「社長用務と考えて、——よろしいですか? 先ほどの社長のお言葉は、私への命令だと判断しても?」
一歩、二歩。清水は葉月の顔が見える位置まで移動し、なおも問いかける。否、確認する。
「よろしいのですね、須山社長?」
「私は——・・・」
かちゃり、と音を立てて葉月はノブを回した。肩越しに清水を、そして凛を見る。

「東堂コーポレーションの最高責任者として、この部屋に戻ってきます。今も、戻るまでの間も。・・・少なくとも、この件が片づくまでは」


   ◇◆◇


葉月が外出してから1時間と少しの後、秘書席に秘書課長代理から内線がかかってきた。 コンピュータを今すぐにシャットダウンするように、と。
わかりましたと受け答えをしていると、社長室の扉が開いた。
「下から連絡?」
「はい、コンピュータの電源を落とすように、と・・・・・・え、社長!? いつの間に・・・っ」
「ついさっき。——ああ、裏から入ったから気づかなくても当然ですよ」

社長室への入り口は、2カ所ある。葉月が裏、と言ったのは、社長専用休憩室からつながっている扉。 休憩室自体は社長専用エレベータから社長室を通らずに入ることが出来る。その鍵を持つのは、葉月だけ。
うなずきかけた凛は、何かしらの違和感を感じて動きを止めた。

「何か?」
「あの・・・社長、もしかして着替えを?」
色と、形。それが微妙に違う。
「うん。上下とこれを」
ネクタイとジャケット、そしてパンツを指さす葉月を改めて見上げると、ずいぶんと砕けた格好に見えた。 リクルートスーツは言い過ぎかもしれないが、凛と同世代の社員達とあまり変わらないような。 男性のスーツは女性のそれとは違ってデザインの違いがわかりにくい、というか凛にはほとんどわからないのだが、そう思えてしまう。

「外で何かあったんですか?」
「いや別に。——似合わない?」
葉月はカウンターの向こう側へ回り、凛へと身を乗り出してくる。 秘書課からの指示が凛の頭をちらつくが、手で制されてしまい、思考が葉月からの質問に引き戻されてしまう。
「い、いえ、ただ」
「ただ?」
「いつもの方が良いなと、・・・思っただけです」
「それは光栄です。有難う」
くすりと笑って、葉月は左手の腕時計へと目をやった。 文字盤を爪の先でとん、と軽く叩いてから、身体をかがめて何かを持ち上げた。 葉月が手ぶらだと思いこんでいた凛は、カウンターの上に葉月が置いた物を見て驚いた。
突如出現したのは、少しくたびれた、けれどしっかりとした作りの革製のブリーフケース。
凛は葉月を見上げ、問いかける。
「——お出かけですか?」
てっきり肯定の返事が返ってくると思っていたのに、相手はかぶりを左右に振った。

「ちょっと下りるだけです。それと、下からの指示は無視して構いません。 それよりも作業を進めてください。コンピュータについては私が保証します」



葉月が非常階段の扉の向こうへと姿を消して、しばらくして。
凛はまゆみが携帯からかけてきた電話で、社内のいくつものシステムがダウンしていると聞かされた。 その関係でほとんどの社員がコンピュータを使うことができない、と。

『経理システムも止まってるのよ。通常業務に戻った途端これだもの、今日は仕事にならないわ』
「いったい何があったんですか? システムダウンだなんて」
『うーん、それがよくわからないのよ。あまりにも暇だからみんなで噂してるんだけど・・・ウィルスじゃないかとか、 前からやばいって言われてたサーバがパンクしたんじゃないかとか。 そうそう、ハッキング受けたんじゃないかって説もあったわね。好き放題言ってるわよ』

本当にすることがないのだろう、まゆみは生来ののんびりとした口調で話している。もしかしたら、コーヒー片手かもしれない。

『凛は? 振り回されてる?』
言外に社長に、と含めつつの問いに、凛はしばし考えてから答えた。
「——はい、それはもう」



今は無人になっている、隣の広い部屋。
その主は今、どこにいるのだろう。
「・・・・・・」
キィを叩ている合間にふと浮かんだ情景は、あまりにもリアルだった。 整然と並ぶコンピュータ。独特の機械音。夏でも寒いと感じる、機械に適した温度設定。足下には、見えないけれどコード類で埋め尽くされている。
凛はその空間を、数回見たことがある。入ったのは一度きり。しかしその特殊さ故に、いつまでも強烈な印象を放っているのかもしれない。


その中に葉月がいるような、気が、した。


back | top | next
あとがきは、こちら(info & res)にて。
index > opus > Signal Red > 1st > #06 [2]

ひと言 mail form

管理人宛、何でもどうぞ。 → 返信
# アドレス記入の方には、直接返信します。

H.N.

Copyright © 2008-2012, Yuki NANAMI, "EYES ONLY"




إå




Total: