Signal Red 2nd

- シグナル・レッド -

隠していた、空白の時間。
Updated: 2010/07/20


#02 哀しさと愛しさ[3]



ぱたぱたぱた、ぱた。
急に不規則になったスリッパの音に、エドワードは顔を上げた。扉を開け目を丸くしてその場に立ち止まったままの少女に対し、口を開く。
「今日は休み」
「・・・そう」
エドワードに対しての、ぎこちない笑み。同じくぎこちない言葉。それでも、逃げ出さないだけ良い。
色々と話したいことはあるのに、顔をもっと正面から見たいのに、それはできない。それが、くやしいと思う。
「出かけて、きます」
学校で使う教科書を買いに行くから、と少女の説明は続いた。
まもなく新学期。果てしなく遠い記憶のように感じて、彼は苦笑した。彼女といくらも年は違わないはずなのに、と。
「何?」
「いや。傘を持っていけ。夕方に雨が降る」
「有難う。でも、そんなに遅くはならないから」
「そうか」
うなずいて視線を落としかけたエドワードは、彼女が未だに動かないことに気づいて再び顔を上げた。
ノートタイプのコンピュータからもれる音声に、興味を持ったのか。
「ニュース?」
「リアルタイムのな。葉月の晴れ姿」
「・・・勝手に見ているんでしょう」
あきれた、といった表情でエドワードを軽くにらみながらも、少女はコンピュータの画面をのぞき込んだ。
「――本気、なんだね」
しばらく見つめていてから、ぽつりとつぶやきを残し部屋から姿を消した。カチャリ、と扉の閉まる音が、エドワードの耳に響く。


取りあえず『晴れ姿』を最後まで見てから、音声はそのままで画面を切り替え仕事をしていたところへ、携帯電話に着信ランプがついた。 表示された名前にエドワードはふう、と短く息をはいてから、受信ボタンを押す。
「Hello? ・・・お久しぶりです。お元気そうで」
多少の嫌みも込めて挨拶をすると、案の定電話の向こうからぶつぶつと不平が聞こえてきた。 適当に相づちを打ちつつ、聞き流すことにする。すると、程なく相手は『本題』を振ってきた。

「ええ見ました。――さあ? それは聞かない約束でしょう。こちらもしばらく楽しませてもらいます」
くつくつと、エドワードは笑う。だが、もしその場に誰かいたとしても、彼が笑っているとまでは思わないだろう。
せいぜい、口端をほんのすこし緩めた、その程度。
「言葉通りの意味です。こちらは単なる傍観者。あなたもそうでしょう? ――心外ですね。 どう転んだところで、手を出すつもりはありません、今のところは」
ちょっと水を向けてみれば、予想通りの反応。相手にしては、至極素直だ。あえて、なのか。わざと――なのか。
エドワードはわざと聞こえるように、ため息をついた。いいですか、と低い声で言い、相手を黙らせる。

「私は・・・『オレ』は、味方ではないし、協力者でもない。オレはオレのやりたいように動く。それをお忘れなく」

そのまま通話を切り、エドワードは窓へと視線を移した。
『本気』、か。
少女のもらした言葉に、肯定したい自分と否定したい自分がいる。
どこまで本気なのか。どこからが本気なのか。いずれにせよ。

「おめでとう、と言うべきかな、葉月?」

それとも、莫迦、と言うべきか。


   ◇◆◇


「何か、えっらく怖い顔してるねー日下部さん」

入社式は滞りなく終わり、そのまま役員数人と共に葉月は社長室へ戻った。
重厚な扉をゆっくりと閉め終えた凛に、秘書席に代理で座っていた羽野が、両手を上に伸ばしながらつぶやく。
「緊張じゃなくて、ですか?」
「いーや。にこにこ笑ってるけど、社長と目を合わさないようにしてた。違う?」
「・・・・・・」
「役員連中とかに、また何か言われた?」
凛は扉から手を離し、笑いながらふるふると首を左右に振る。
「――じゃあ、社長からですか」
そこへ、ファイルを片手にした今橋が、非常階段側の通路から現れた。

「日下部さん、これが今朝話していた書類です。遅くなって申し訳ない」
「いえ。有難うございます」
受け取った凛に、何かありましたかと今橋は問いかけた。
「どうにも、2人のプライベートのみに関わることとは思えません。・・・良かったら」
「右に同じ。単なる喧嘩にしては、何となく深刻そうに見える」
「わたし、そんなに顔に出ますか? ・・・すみません」
凛はぺたぺたと自分の頬に手を当てながら、カウンターに両手をつく。ふう、と息をはき、今橋と羽野のそれぞれに軽く頭を下げた。
「何だか・・・時々、別人のように思えるんです」
「別人って、どこら辺が」
「急に入社式への出席を決められたり、入社式の間、時折ものすごく厳しい顔をされたり・・・ある意味、当たり前だとは思います。 社長が入社式に出られないのはやっぱり変でしょうし、新入社員を前にして終始にこやかな表情でいなければならない、って決まりもないですし」
「確かに、緊張とは違った緊迫感がありましたね」
ネット配信で見ていたのか、羽野がうなずく。
「でも、帰国されてから何度かその・・・職場以外でお会いしたんですが、その時も表情とか口調は柔らかいけれど、いつでもどこかピリピリした感じがして。 最初は全然わかってなかったんですが、今日になってようやく言われた意味が理解できた気がして――」
「『言った』のは青柳さんですか? それとも・・・」
かぶりを振る凛を認め、今橋の隣で黙っていた羽野がじゃあ、と口をはさむ。
「前会長」
「はい。葉月さ・・・あ、いえ、・・・社長は」
「無理に言い換えなくて良いですよ、日下部さん」
「そうそう。何か、こっちまで照れる」
優しさ半分、からかい半分の2人の突っ込みに、新米秘書は知らず知らずのうちに肩に力が入っていたことを自覚して、カウンターの上の両手をきゅ、と組む。
すぐそばの扉の向こうにいる人の顔と、その人をこの場所へと連れてきた人の声を思い浮かべながら、 1週間前に耳に入り、そのまま残っていた言葉をゆっくりと喉の奥から出した。

「近くにいるからこそ、葉月さんは本来必要とする以上に『話さない』と思う――と」

言い終えた彼女に向けられた視線は、明らかに意味がわからない、といった類のもの。 が、しかし、凛がその時に感じたものとは多少異なっているのだ、と彼らの会話を聞いているうちに彼女は気がついた。
「・・・こりゃまた、えらく直球ですね」
「余程、彼女を気に入ってらっしゃるんでしょうか」
「ああ、それはあるでしょう」
何故か、2人してうなずきあっている。
「えーと、あの・・・?」
何とか会話の糸口を探ろうとしているところへ、予告もなく当の2人が凛を振り向いた。

「日下部さん」
「は、はいっ?」
「これは推測ですが、前会長は他にもあなたに色々と言われたことと思います。ですが、何もかも鵜呑みにはしないように。 そうですね・・・『本気半分冗談半分』程度にとどめておいた方が賢明です」

それは、いくらなんでもあんまりなのではないだろうか。
内心突っ込みを入れたくなる凛だが、今橋と羽野の真剣な表情を目の前にしては、とても言えない。
距離は全然変わらないのに、迫ってくるような錯覚を覚えてしまう。

「いいかい? あの人はね、本気で冗談を言うんだ。だから、本気か冗談かの区別が素人じゃできないんだよ」
「確かに。『その人に良かれと思って』言う場合と、『自分が楽しみたくて』言っている場合とで区別するべきですね」
「さすが課長。言い得て妙です」
「・・・伊達に長く仕えていませんから」
ははは、と笑い合う2人が、妙に明るくて何だか怖い。内容が内容なだけに。

おそらく多少、いや確実に「かなり」、誇張しているのだろう。
確かに、隆一郎はストレートな物言いをあまりしない。 数えるほどしか会話をしたことがない凛でも、それくらいはおぼろげにわかる。葉月に似ている、とも。
それでも。
その後に続いた言葉は、彼が本当に伝えたことだったと思う。


「・・・っと、もうこんな時間か」

ひとしきり笑った後で、羽野は壁時計を見てひとりごちた。
「そろそろ車が戻ってくる時間だ。ちょっと下まで行ってくるよ」
「ああ、点検でしたね」
「点検って、羽野さんの車ですか?」
以前、葉月が運転したこともある羽野の車は、大きすぎず小さすぎず。乗り心地の良い車だったと思い出しながら凛が口をはさむと、相手は手を振った。
「違うよ、社長車。半年点検で、昨日預けてたんだ」
そのまま、何も手に持たずにエレベータホールへと歩いていく羽野の背中に、凛は声をかける。
「鍵は持たなくて良いんですか? 代車の」
「元々ないから平気。それじゃ課長、失礼します」
「はい。――じゃあ私も、戻ることにします」
「あの、課長!」
思わず、凛は呼び止めた。何事もなかったかのように踵を返そうとした今橋が、驚いたように歩みを止める。
「・・・何か」
「車がなかったということは、社長は昨夜と今朝は・・・」
「――ああ、そうでした。まだあなたに話していませんでしたね、申し訳ない」

東堂グループの役員クラス以上は、基本的に運転手が付いている。 中でも社長となると、専属の運転手がつき専用車が用意され、自宅と職場の間の送迎は当たり前だ。
それを知っているからこそ、社長車がない状況で葉月が出勤していて、しかもそれを羽野や今橋が当然と受け止めていることが、不思議でならなくて。

「社長が、代車は必要ないと言われたんですよ。1日くらい自力で運転してみたかった、と」
「・・・じゃあ、ご自分の車で」
「いえ、そうではなくて――」


   ◇◇◇


『――私はね』

葉月が帰国した日の夜。
隆一郎夫婦と共に食事をしていて、途中手洗いに立った佐代子を葉月がエスコートして共に席を外した際に、隆一郎が前触れもなく凛に切り出した。

『会社のことを家にほとんど持ち込まなかった。「話せる」部分と「話さない」部分を、きっちりわけてきました。 だからこそ、佐代子とずっと一緒にやってこれたと思う』
穏やかな、表情。昔を懐かしむような、柔らかな口調。心の底からうなずく凛に笑みを返してから、隆一郎はゆっくりと箸を置く。

『でも葉月は、公の場でも君の近くにいる。いや、逆だな・・・「君が」葉月のそばにいる。 となると、葉月が聞かれたくないと思っていることを、直接的にせよ間接的にせよ君は耳にするし、時には「秘書として」動く必要だってあるだろう。 ――だから、葉月は多分、本来必要とする以上に君には「話さない」と思うんだよ』

『・・・何をですか?』
凛の問いに、隆一郎はただ穏やかに微笑むだけで答えない。 こうなると無理に問うこともできず、自然と凛は口をつぐみ、空に近い隆一郎の杯に気づいて日本酒を注いだ。 返杯を受ける孫ほども年齢の離れた凛に目を細めつつ、老人は再び口を開く。
『「あれ」は、器用そうに見えて実際は不器用な奴なんだ。凛ちゃんが愛想をつかさないか、それが目下の私の心配事だな』
『全然、不器用には見えませんけど』
『そうか?』
『はい。パソコンにもものすごく詳しいですし、役員の方達と話をされるときも、にこやかですが威圧感というか、オーラがありますし。 青柳主任も、社長には勝てないって・・・』
『そうか。青柳君が勝てないのか。ははは、それは良い。――だが』
言葉の前半だけで思考回路が回りきったらしく、凛が目を丸くして応じた。そこへ、葉月と佐代子が戻ってきた。

『・・・これからきっと、「見えて」くる。君にしか「見せない」よ。 でもどうしても「見る」必要がある時は――遠慮せずにはっきり言ってやりなさい。「見たい」、とね』

自信たっぷりに、隆一郎は言った。これでこの話は終わり、と言わんばかりに。


   ◇◇◇


多少、いやかなりぎこちない動きで、凛は何とかソファテーブルの上に弁当を載せたトレイを置いて、部屋の最奥に鎮座しているデスクを振り仰いだ。

「有難う。羽野さんは部屋?」
「食堂です。『奥さんのお弁当を忘れた』って慌てて」
「・・・それはそれは。半分はオレのせいだな」
「葉月さんの? ・・・あ」
言い終えてから口に手を当てる凛に、葉月は笑った。
「凛は、弁当か何か持ってきてるんだろう?」
彼女がうなずくのを見ながら、手にしていた書類に付箋紙を貼り付ける。 それは、凛が部屋に入ってから手に取り、ぱらぱらとめくっていただけのもの。 しかし、気になる部分を見つけたのか、何事か黄色い紙に書き込み始めた。
「ここに持ってくればいい。子機を持ってきておけば、支障はないし」
その場を立ち去ることができずにいると、目線はそのままに葉月が提案した。
「社長、それは」
「オレのスケジュールは、君が一番良く知っているはずだ」
静かな口調に、凛は押し黙る。
「今夜は新入社員の歓迎会があるし、明日は1日社外に出る。少なくとも週末になるまで、君と話す時間が取れない」
「・・・承知しています」


葉月が帰国してから、1週間と少し。会社が休みの日は4日間あったはずなのに、前半2日は隆一郎達に時間を取られ、 後半2日は葉月が仕事の為に会うことはできなかった。 結局、2人だけで話ができたのは平日のほんのわずかな時間。そのことを、葉月は言いたいのだろう。

けれど、と凛は思う。

凛が、葉月と初めて顔を合わせてから自分の気持ちに気がつくまで、1週間弱。 けれどその間に、自分は彼のことをどれだけ知ったのだろう? 再会してからの1週間と少し、それは少しでも増えただろうか?
名前と年齢と、役職。前会長との血のつながり。煙草を吸うこと、車の免許を持っていること。 お世辞にも広くはない部屋に住んでいたこと。 お酒はバーボンが好きで、今の役職に就くまでアメリカで暮らしていて、その時は学生で、友人のうちのひとりが日本にいる。 ――それ以外の、何を知っている?

『須山葉月という人』を、どれだけ理解していて、どれだけ『理解したい』と思っている――?


「だから・・・」
「葉月さん」
遠慮がちではなく、はっきりと遮る目的で発せられた凛の声に、葉月は顔を上げた。2人の視線が、正面からぶつかる。
「――どうして、急にあんな事を言うんですか? わたし、帰国してからの葉月さんが何を考えているのか、全然わからない」
「ああ、住む家を探すって話。冗談だとでも?」
「本気だとしたら、尚更です」
「凛」
「説明してください」

嬉しくないわけがない。一緒にいたいと思っている人と、一緒にいられるなんて。 けれど、何もかもが『今』に集中しすぎているように思う。だから――わからない。

「何をそんなに急いでいるんですか。どうしていつも、ピリピリしているんですか?  厳しい顔をしたり、無理に笑ったり・・・向こうで、何かあったんでしょう? あの女性も、向こうでのお知り合いなんでしょう? だったら――」

ふいに、凛の視界が暗く翳った。ふう、と葉月が大きくため息をついて、恋人の背中に腕を回す。
「――凛が結構勘が鋭いってこと、忘れてた。まさか気づかれてるとはね・・・ばれてないって自信あったんだけど」
「は、づ・・・」
「でも残念ながら、凛の推理はふたつともはずれ」
両腕の力を緩めて、葉月は至近距離で凛の顔をのぞきこむ。バツの悪そうな、けれど凛が知っている葉月の、素の表情。

「理由を話したら、撤回の余地はある?」
「はい?」
「さっきの話」
「・・・本気だったんですかっ?」

当然、と葉月は返す。

「その為にも、早々に誤解を解いておかないと」


back | top | next

蚊荐 mail form

膊∞篋阪篏с 菴篆
#≪壕ャ鴻贋・菴篆<障

H.N.

Copyright © 2008-2012, Yuki NANAMI, "EYES ONLY"




ヘッダ画像




Total: